シドーブログ

人体は物質である。

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人体は物質である

 

我々治療家が身体をみる上では様々なフェーズがあります。

 

筋肉や骨

血管や神経

液体

人体生理

力学

精神

病理

空間

社会環境

過去のトラウマ

前世

霊障

不調の原因とその対応を挙げると治療家各々によってキリがありません。

 

しかし紛れもない事実が一つあります。

過去4度の人体解剖とその他解剖、たかだか四半世紀の臨床から見えた紛れもない真実。

それは、、、人体は物質である。

生きていようが死んでいようが物質だということです。

 

“物質”は”生命と精神”と対比される概念でもあることから、治療家によっては物質的なアプローチと精神のアプローチという風に乖離してしまっていることが多い。

 

患部すら見ないのがいい治療家なのか

 

先日、手首を長年壊しているあるプロが来られました。

これまでに5軒の整体などへ行かれたそうです。

 

・唐突に「7歳の頃の体験が原因ですね。」

・首からきてますね

・骨盤の歪みが原因ですね

・家族関係の不和が原因かも

と様々なことを言われてきたそうです。

 

私が手首の状態を把握するために直接目で見て触れて動かして細かく見てゆくと本人も気付いていない異常がいくつも見つかりました。

これは物質的な変化であり損傷でもありますが、それよりも驚いたことが。。。

 

「こんな風に手首を直接触って見てもらったの初めてです!」とその方が言うのです。

 

はぁ、、!?

 

「原因は患部にないことが多い」とはよく言いますが、患部の物質的な変化を感じることなく障害の領域や質も理解せずして原因は骨盤だとか幼少期のストレスであると断定するものはいかがなものか。

 

よその整体とうちは違うでしょ?

ウチはふつーの整体とは違うんです〜!

と売りたがる治療院は多い。

 

自分の得意なフェーズで思いついた、原因ありきで物事を進めることこそ、その人を置き去りにしている。症状が霊の仕業であっても前世のトラウマであっても起こっている現象は正面から把握しなければならない。

手首が痛い人のその手首すら見ないのはファンタジーすぎる。

「治ればなんでもいいでしょ」なんだけど治ってないんだからそれじゃあダメなんだ。

 

身体を把握することがどれだけ知識と経験と技術が必要で面倒な事か分かっているからこそショートカットするんだろうと、分からなくもない。

 

あらゆる領域をたくさん勉強しすぎて何がなんだか見えなくなっている治療家は一度、「人体は物質である」ということの凄い意味に気づき立ち返れば、また新しいものが色々見えてくるでしょう。

 

その後の身体へのアプローチの方法は色々あっていいやんね〜