まずはこのブログ記事を読んでください。
これはシドーのメンターのひとり餅匠しづくの店主石田さんのエントリー。
いまだ人生修行中のボクは半年に一度は読み返す素晴らしい記事です。
保育園のおゆうぎ会にて
先日、息子の保育園のおゆうぎ会がありました。
あらかじめ保育園の取り決めにより、
ビデオ撮影は最後列かサイドならOK、
カメラでの写真撮影は一切禁止。
後日、業者撮影の写真が販売されることになっていました。
ところがあろうことか、
上演中にボクの友人の隣の男が一眼レフでパシャパシャ撮っていました。
友人はしばし考えるもやはり見逃すことが出来ず「撮ったらあかんやろ」と注意。
すると男は悪びれるどころか「ナニコラ」と噛み付いて来たのです。
それからしばらくもめて「オモテ出ろ」のつかみ合い寸前までいきました。
その様子は会場内のかなり離れたところからでもわかるくらいでした。
話はここで終わりません。
自分ならどうする
その日の夕方、その友人も含め仲の良い数家族がうちへ来て打ち上げをすることなりました。
当然もめた件も話題になり、自分ならどうするか?の話に。
酒が入ってたこともありヒートアップして、そのルールを破った人間に
どう言ったら通じたか。
どう言えばダメージを与えられたか。
どう言えば後悔させられたか。
どうしたら言い負かせたか。
で色々意見が出た。
僕もモノ言う方なのでそんな悪いヤツならばおそらく口撃してる。
それは僕の場合「私は間違っていない!あいつが間違っている!」
こちらが正義だという大義名分があり、
俺だってみんなだって我慢してるんだ。お前だけ得するなんてゆるさん、という気持ちがあったから。
でも、仮に全てを言ってみたとしても最後までなんだか気分悪いままなんだよね。
本来の望みは、目の前の子供のいきいきとした歌と踊りに成長を感じ、今しかないその瞬間を楽しむこと。
石田さんの言葉を引用すれば
●あなたが望んでいたのは、「私が正しい」と言う事を実証する事ではなく、子供の舞台を観てその成長に感動すること。
●どうすればいいかと言うと、「私は正しいと言う選択ではなく、私が楽しいのはどっち?」と言う選択をすれば調和し、良い結果が生まれるような気がする。
「そもそも自分は何を楽しもうと思ってたんだっけ?」
ここに一度立ち返ることですべてうまくいくような気がする。