あたしは整体師になって18年になる。(最後まで読んで下さいね)
そりゃずっとやっているとたまに飽きがくる。
いや、”飽き”というよりは「施術をする→相手の身体が良くなる」
これが「当たりまえ」になって来て自分自身の喜びや、やりがい
というものが薄れてくる時期が幾度もおとずれる。
相手がどんなに喜んでいようとも当たり前すぎてそれを共有出来ないことも過去にはあった。
より上の高みを目指し、はたまた刺激を求めて新たな手法を学んだり
理論を構築する。
そうすると未熟なうちは、過去の自分の習って来たことや、
やって来たことを否定してしまうことがある。
過去を上書きするように真新しい自分になろうとする。
こじらすと1秒前の自分さえも否定してしまう。
整体業界にも新たな手法を習ったとたん、
高度な先生のまるまるテンプレートのようなことを言い出したり
やりだしたりする人がままいる。
もしもシドーが「今の自分の施術には100%満足していないので、
またはシドーはまだまだこんなもんではないはずなので暫く休業します。」
なんて言い出したらこれは社会の大きな損失なのだ。(言い過ぎ)
松崎しげるはいまだに「愛のメモリー」を歌うし
草間彌生はいまだに水玉とうねうねした絵を描き続ける。
彼らは自分がユニークな存在であることを知っているから。
自分にしかできないことと自分に出来ないことを知っているから。
マイケル・ジャクソンもいつまでも『ビリージーン』で
ハットをかぶりムーンウォークする。
彼は原曲にこだわった人だ。
「コンサートでお客さんが聞きたいのは原曲の歌だ。キーや音が違ったらみんな違和感を感じてしまう。」とスタッフにも徹底し、自信もその為のコンディションづくりに余念がなかった。
ここ数年は特に仕事というか相手の反応に喜びを感じる。
昨日、友人の父親が初めてIASOに訪れ治療を受けて行かれた。
人生で初めての整体に喜んでくださる姿がまた新鮮であったし、
この方には70、80歳までゴルフを楽しめる身体でいてほしいと願った。
ということで、シドー今日も明日も絶好調営業中。
自分の仕事や作品を社会に出した時の人の驚きや喜びは
いつまでも新鮮に受け取らないといけない。
すばらしくユニークな素材がありながら世に出ていないとすればそれは社会の損失である。
このブログのエントリーを大切な友人に送ります。